人とカルマの法則・・・③・・自分の正しい清算?

・・・カルマとは、自分が過去にしてきた悪しきことのちゃんとした清算?、、、だと個人的には思っている。(これは変わるかも知れない。何かを清算できた?っの実感がまだないから。ただし精算に確実に向かってることはある。)
過去から引き継がれたものであれなんであれ、清算しなければ永遠に続く、、、っと青森の神様木村藤子は言っている。


・・・目に見えない世界のことはどこかつかみどころがないので、空回りすることもあるが、でも「これはカルマだろうか?」っと思えることは日常にある。
面倒なことが連続して起こったり、小さなケガが絶えないとか、鼻炎がずっと治らない?っとか些細なことなんだが、過敏過ぎる資質だとそう思ったりもする。そう思うとそれを呼び込むらしいから?またケガをする、、、っとかだ。
ま~さすがに昨今それはなくなってきた。それでも否応なく迎える「老眼」とか(^^;),情熱の冷却とか、気力の衰えとか、、、厄介だ。
・・・ただ物事の推察や洞察、解釈は昔とは大きく違い、とらえる面が多角的になり、なった分だけよく視える。別にそれで賢くなるわけではないが、視える分だけ感動が薄くなる。何事も(ほどほど)、、、っになるのは、実は決して大人の証でもなんでもない。単に終焉が近づいてるだけだ。 (ー(ェ)ー)・・・


・・・思ったことの10分の1もできなかったが、ある「新人賞」をもらったことがある。メダルやら記念品やらポスターやら、その他、発売されたレコードやCDやカセットやらも、とにかく何一つ手元に残してないので、証明するのは難しい。難しいから言わない。言わないからただの正体不明の男になってる。Σ( ̄□ ̄;)
さらには異性の気配がないのでゲイだと思われてる。(゜_。)?(。_゜)?


・・・それら一切が(どうでもいい)っことになること事態、旅立ちが近いのかも、、、それもこれも、自分に与えられた、背負って生まれてきた、「カルマ」なんだろう。
逃れられないカルマなら、モガキやアガキはせぬことと、ここだけは達観してる。