・・足尾銅山鉱毒事件・・田中正造


教科書には書けない足尾銅山鉱毒事件の真実〜後編〜|小名木善行
・・・昔の話、、、大雑把には知っていたが、もっと知りたくなって、ある日、足尾に出かけた。彼の生家も行ってみた。写真が飾ってあるだけの質素な部屋だった。玄関を出ると庭の一部に銅像が建っていた。日本最初の大型公害事件?として、一命懸けて戦った人物の足跡はなにもかもが慎ましかった。
 事前に写真で見た芦尾の美しく広大な山々は、木々がすっかり剥げ落ちて、今後100年は草木一本も生えないだろうと言われた。その山々をゆっくり見渡した。うっすらと緑が生えていた。(その頃はね)それを見てたら、見てたらなんだか堰を切ったように涙が溢れてきた。


〖・・・山々さん、ダメだよ、新しい緑の木々をそんなに早く出してはダメでしょうに。辺り一帯をズタボロにした人間に、ちゃんと制裁を加えないとダメですよ。最低200年は草木一本生えないように、雨が降れば土砂となって家々を押し流し、山の地下水は一滴もでないようにカラッカラに干上がらせて、徹底的に思い知らさないとダメだよ。こんなに早く優しくしていいのですか?その優しさ、人間は全く理解も感謝もしてませんよ。
大自然の摂理の有難さを、骨身に染みてトコトン経験をさせないと、、、〗、、、っと言いながら泣けた。そして田中正造が掘っ立て小屋を建てて寝起きしてたという川原に行って、(こんな場所でどんなおもいで過ごしていたのか?)、、、また泣けた。
帰りの車中で考えたこと、、、=政治は人民のためには動かない。政治は政治家の都合のために動く、、、形はどうであれ、結局はそのようにしか動かない!=強く確信した。
★・・・珍しくこの山々の様子や、田中の生家や河原の写真を撮ったのだが、断捨離であるのかないのか、どこに行ったのか、、、見つからない。パンフレットのようなものが一枚出て来ただけ。
★・・・田中正造、ハンサムですね。