美空ひばり・・・③・・「お嬢の仕事を手伝ってみない」

・・・翌日からは全TV局が「美空ひばり特集番組」を組み始めた。それはもう「ひばり一色」っと言っていいほどだ。ビデオテープはダンボール箱で買ってきたが、もうアっという間になくなっていく。ずいぶんな「ひばりライブラリー」ができた。
なにせ30年も経過してるので、思い出す思考の歩幅?がつかみにくい。よく言えば忘却の彼方へ、流して言えばすでに物語は過去の扉へ入った。世間の区切りは24回忌までだ。とにかくあらゆるステージ映像、あらゆる交友関係、あらゆる書籍、あらゆるプライベート秘蔵フイルムが流された。こちらも撮りまくったテープが優に250本以上あった。そのうち120本くらいまでは丁寧にインデックスを作り、貼っていた。
書籍もあれこれ買って読んだが、13回忌を過ぎた頃からネタが重複するようなものが多くなり、買わなくなった。しかし命日が近くなるとやはり「ひばり特集」は組まれ、それは24回忌まで続いたように思う。日本芸能史上、こんな現象は無かったと思う。
その間、不思議だったのは、そのひばりの一生に寄り添った、腹立たしいほど羨ましい(~~;)人、関口範子氏がなにも語らず、黙して表に出て来なかったことだ。もう彼女以外に秘蔵ネタは、、、無い!
彼女はもともと後援会に入っていたらしく、浅草国際劇場や江東劇場などの東京公演の時に、自主的に後援会の人が身の回りを手伝っていたらしい。
昭和34年頃からとあるから、その少し前から検索してみると下記の如し。
すでにひばりはフル稼働の大スター。
昭和31年1月15日大阪劇場正月公演で入場時に混乱し、ファンの1人死亡。
昭和32年1月13日浅草国際劇場出演中、ファンに塩酸をかけられるが軽傷ですむ。
    6月21日ただ一人の先生とあおいでいた川田晴久氏死去。
昭和33年3月26日〜歌舞伎座でデビュー10周年記念リサイタルを開催。(26・27日)
    8月15日東映映画と専属契約。
昭和34年3月17日東映映画べらんめえシリーズ第1作「東京べらんめえ娘」封切。
・・・っとこんな感じで、誰もが頷く日本一の大スターであった。
★・・・余談だが、33年の歌舞伎座公演は歌舞伎役者たちが、「女を歌舞伎座の舞台に立たせるた~何事だ。汚れて使い物にならね~板を削ってしまえ!」っと抜かしたとか。
ッケ!何様だスカタン!(ひばりさん、関口さん、ゴメンナサイ。つい本音が)
そんな頃に、関口範子氏はひばりのお母さんから、「お嬢の仕事を手伝ってみない」っと誘われた。