美空ひばり・・・・②・・・日本の一大事だ~!

・・・さて、美空ひばりである。「待望の書」?はちと大袈裟か?っとも思うが、個人的には待望!していた。以下、関心無き人はこの項無視されたし。


・・・そうね~あれは彼女が逝去した30年前の=平成元年6月24日=日付変わってほどなく、何か机の上で用事をしてたと思うが、小さく付けていたTVから「臨時ニュースを申し上げます。只今、歌手の美空ひばりさんが、順天堂大学病院でお亡くなりになられました。繰り返します、、、」っが聴こえてきた。一瞬、「うん?」っである。「何か言ったか~」っで他にチャンネル切り替えてみたが、もう全てのチャンネル「美空ひばりの訃報」を放送していた。なんだか心臓がドキドキしてきて、急いでビデオテープをセットして、2台のデッキは録画しっぱなしになった。そのうちボロボロ涙が出てきた。悲しみよりもっと深い哀しみ、それより深い慟哭、、、日本が、日本民族が、これだけは失くしてはいけない、消えてはいけない大切な大切な宝が、死神が無慈悲に持って行ったような、言葉にならない哀しみと怒りが襲ってきて、涙が止まらないのである。そのうち声を上げて泣き始めた。なぜか?自分も終わったからである。
生きてる支えのような源(みなもと)が全身から滴り落ちて、一緒にあらゆる身体の器関がガラガラと崩れていく感覚が走った。灯台を見失った船が、方向がわからなくなって、ただ海の上に浮かんで彷徨ってるだけの状態である。
「美空ひばり恋し」の中で、駆け付けた俳優の中村錦之助(後の萬屋錦之助)は、ひばりを抱きかかえたまま目白の自宅へ急ぐ車の中で「日本の一大事だ、日本の一大事だ」っと二度口にしたというが、言い得て妙である。また病院を出るところや自宅へ帰るところを絶対に記者に撮られたくなかったという関口範子の迅速な対応は、見事に功を成した。