・・葬儀のコンパクト化・・


・・・いや、もっと簡素化するでしょう。価格も15万円前後になるのでは?
もう人間の「死」への捉え方、関わり方が大きく変化、変容したから、墓石などは今後は亡くなるのでは?生まれた土地で一生を送る農業主体の時代には、そこでの寺に先祖の墓もあり、供養もしていたと思われるが、人々が都会へ大きく移動をする現代では、もうどこで暮らして死ぬのやらも状況次第の風まかせ。北海道や九州等に故郷を持つ者はお盆のたびに帰郷するのも難儀なこと。まして都会で家族ができれば相手のこともあることだし、、、よって墓そのものへの(思い入れ)とか(日本の風土的価値観)も大きく変化し、ある種の「こだわり?」も相当に薄らいでると思える。
 なにより上げておきたいのは葬儀費用のボッタクリとも思える高尚は、「おいおい、死ぬのも大変だぜ」っになり、わずかな墓地を購入するのも一苦労。墓地を買って墓石立てても、もう長年ほったらかしの無関心??なんて墓を、近くに墓地があるので通りすがりに見かける。(墓石商売、そのうち、、、)


 また大勢さん呼んでの料理やら香典返しやらとこれも面倒!の一言。なぜか?いかに親族の誰かの葬儀とはいえ、その人が生前関わってた人間関係など知るすべもなく、関わりの深さに合った?スピーチの順番やら、もう残された者はてんてこ舞いである。
昔は思い切り盛大にすることへの奇妙な誇らしさ?もあっただろうが、時代とともに大きく変化し、人々の忘却も早く、「思い出」などというセンチメントな感傷さへすでに消えた感あり。高倉健や渥美清、渡哲也や志村けん、みんなソっと終わってる。記憶にある芸能人らしい盛大な葬儀は「美空ひばり」くらいが最後だったんじゃないか~
目移りすることが多すぎる現代は、故人を思い返すことも失せたやね~