・・終焉する人〇〇係・・??


・・・見出し見ただけでわかった。なぜか?他にないからだ。少しくらい賃金が良くたって、人間がもっとも疲れるのは「人間」だ。その人間関係が最悪な場所ではいかに賃金がよくたって働かない。いや、っ務まらないのだ。
 ある大手の会社に定年まで働いて退職した人を尋ねたことがあった。世間話をしている時に、切れ者と言われた人だったので、「会社をお辞めになって少し寂しくありませんか?」っと聞いたら、(いや、ホっとした)っと言われた。「そんなものなんですか。さしつかえなければ、、、」彼はお茶を一口飲んで(人間関係、、、そこからの解放にホっとした)っとなんとも言えない表情で言われたのを見て、サラリーマンとして組織の中で生きたことの無い自分には、「この人にしてそれほどの懊悩があったか」っとその言葉の下に沈む重い時間に頷くしかなかった。


 ネットの中にある「古民家を安く買ってリノベーション」を、素人ながら生き生きとやってるのを見てると、、、みんな人里離れて解放されたかったんだな~っと思う。出勤時間もその日の退社?もすべてセルフコントロールの自由世界は、最高の労働なんだろうね。みんなよく調べて器用に作り上げていく。それをまた違う場所で現在進行形の者も、あすにも飛び出そうかという者まで、数万人から数十万人まで視聴している。学びながら、またそこから得た新しい発見を披露したり、ネットは追い込みや強制が一切無い学習の連帯である。
 もう頭だけの学習は終わってる?知識だけの詰め込みは詰んでる。今世界的な潮流として、真実生きた勉強が日々成熟してるように思う。
大学ではなく醍学を、知識ではなく値識を、新しい頭脳と力がガップリ右よつになって違う風にシフトしてる。偉そうに吹き荒れてた欲望の風は、照らしてくるライトも消えかかってる。




・・・近場にあったから利用してたけど、、、二度と利用しない。